無職3週間目

退職してから約3週間。

友達とちょっと遊んだり、実家に帰ったりして過ごしたが全く気が晴れない。

あるのは焦りと不安だけ。

まだ4月の最後の方が元気があったのではないかと思う。

何故こんなにふさぎ込んでしまったのかわからない。

退職前も、なんとか楽しみを見つけようとしていたのに。今は何をしてもたのしくない。楽しめない。

休職中、5月は絶対旅行に行くんだと決めていた。場所はどこでもいい。けど、行ったことのない東北の方がいいと考えていたのに。

5月に入ると収入がない不安からか、全くでかけたり買い物をしたりという意欲がなくなっていた。

今、何もせず半日寝てすごすっような日々を送っている。

実家に帰っている間にストレスから全身がかゆくなってしまった。

布団は血まみれ。外に出ようにも服にこすれることもストレスになり、着る物を選ぶ。ていうか何着てもかゆいので着替えたくない。外に出たくない。

ジムに通おうかと思っていたが、市営のジムがあると知る。プールもある。水着を買って通おうかと思ったが、こんな肌でやろうとも思わなかった。

世間の人は何を楽しみに生きているのか、教えてほしい。

今の働いてない状況が多分一番ストレスなんだけど、働き出しても発散する場が無かったら一緒だと思う。これはもう、職を見つけるか趣味を見つけるか、どっちが先かくらいの話だと思う。

元々食にも興味は薄い。匂いを嗅いでおいしそうとは思うが、食べたいにつながらない。高校くらいに時から家族の分を作るようになり、義務感が強くなった辺りから味を感じなくなった。

実家に帰っている間は、昼間父がいるのでそれがもうストレス。他に話し相手いないし。

父がいることを意識するだけで涙が出るくらい、僕は父に確執を抱いている。

実家が悪いわけじゃないけど……。

今も涙は止まらない。一番の理由は情けなさだろう。

自分の趣味も、食も、嗜好も、誰かに頼って与えてもらわないと何もできないのだ。自分は。

毎日腹は減る。家から出ないから、2食だったり米だけとかの生活。

それでも、献立を考えるだけで憂鬱で、もう宅配のやつとか買おうかと悩む。でも、それをするだけの財力もない。

わがままだなあ。

したくないから仕事辞めたのに、仕事がないことに不満を言っている。いやまあ、前の会社では仕事がなかったことが一番のストレスなんだけど。

最近僕の思考はおかしい。

「明日これをする」「早く洗濯を干せ」と言われたら、出来る限り迅速に行わないとひどく怒られ、役立たずと言われるのではないかと思っている。

これは今月こしらえた新しいトラウマ。

普通はしたいとき、気が向いた時に出かけたり、家事をしたらいいってわかってるのに。

「できない」ことがあるだけで、自分は全否定されるのだと。

どんな些細なことでも、できないと。

家族に、見捨てられてしまうのだと。

だから、一年頑張ったのに……。

家族の前から勝手に去ろうとして死ねなかった人のことが僕には大きすぎることで。

10年経っても傷は癒えず、むしろこの1年でなぜかフラッシュバックまで起こり。

今度、精神科にかかった時に話してみようかと思う。これがあるかぎり、僕は自由に生きることは出来ないと思うから。

 

したいこともない、できることもない。毎日を過ごすことも、ままならない。

こうして生きていることに意味はあるのか。僕は、新しい職に就くことができるのか?

考えても仕方がないことだが、僕の脳に張り付いて仕方ないこの思考と、僕は生きていくのだろう。

やだなあ。

最近はどうやって死ぬかばっか考えてて。

体はかゆいし。寝てる間のことは制御できないし。

何を楽しめばいいの。

楽しむことを許せない、今目の前にあるものに一生懸命になれない僕は。

思えば昔っからそう。大学の時、友達と旅行に行っても帰って家事することを憂いて。

その時の非現実に少し高揚するも、現実を忘れられず。

やっぱり僕にはオタクイベントしかないのに。

ハマるジャンルも、ハマる気力もなく。

キャラ萌えでアニメを見ることに嫌気がさし。

オタクの癖にオタクが嫌いで。

たまに外食したら、めちゃくちゃ美味しいものがあったりする。素材一つ一つと、それが絡み合い出来上がった味が。それをそのまま表現すると、食レポと言われたり。

そういう部分もある。

ああ、やだなあ。何もかも。

実はまだハロワにも行ってない。けど、延長の手続きをしたかったら退職の日から30日過ぎてからになってたから、今月は放置しちゃおうと思って。

どうしよう、と考えると涙が止まらない。これはどうすれば治るのかなあ。

やだなあ。

辞めた辞めた!!!!!!!!!!!!!!!!

今月をもって退職しました。

今日手続きと荷物を取りに行ってきた。

一応と思って部署以外にも顔を出してきたが、「大丈夫?」って聞かれるだけで駄目でした。

全然大丈夫じゃありませんでした。

最近はもう胃痛にばっか気がとられて(それも今日挨拶に行かなならんため……)全然考えてなかったけど、職場への申し訳なさとか自分の情けなさとか、涙が出てしょうがない。

あいさつの後、机片付けてても涙出てきたりして。

急に休んで辞めるなんて言った人間に、社交辞令でもみんな気をかけてくれることに泣けて。

自分はもう有り得ない職場死んでも行きたくない行けないって嫌ってたけど、そこにいる人が嫌いだったわけじゃない。

本当に、人間関係が原因で行けなくなったとかじゃないから、次がいいとことは限らないし、すっごいもったいなかったなと思う。

あの空間にいなければ続けられたのかも。でも、実際やると無理かも。

可能性ばっかり考えている。

一緒に仕事してる人のことは本当に好きだったな。いい人たちばっかだったと思う。それだけに申し訳ない。頑張れなかった自分が情けない。

けど、偶然出会ったほかの部署の人に、自分を責めなくていいんだよとも言われて。タイミングが悪かっただけで。本当に反省するのは人を傷つけた時だけでいいんだよって言われて。

自分を責め続けてきた僕からしたら目から鱗

いろいろなところで適性があるから別のところで続けなって言われた。自信ないよ~、僕。

元々自信なかったのに。

みんな頑張ってるよ、向いてるよって言ってくれたけど、やりたくないなあ。

 

4月の給料はないので死にます!退職金は出ました。そんなんあるとおもってなかったから驚いた。4月以降の傷病手当金を申請するつもり~。

保険の切り替えとか、年金とかもGW明けくらいに行きましょう。

僕はそろそろ疲れました。

けど、ひとまず決着がついたので前には進んだと思います。

この大空に、翼をひろげて。(アプリ版)をプレイした

休職中、職場と連絡を取っては体調を崩し、宝塚観劇に行っては体調崩し、実家で家事をすれば体調を崩していた僕は、一人暮らしの家に戻り、しかし、やりたいこともなく、そんな状態で空腹になることもなく(なるが、何も食べたくない)、眠気もなく、地獄のように過ごしていた。

友達に電話をすれば出てくれるが、向こうも社会人だ。毎日毎日たよっていられない。

僕もいっぱしの大人なら、一人で時間くらい潰せねばならぬ。そして、心を上向けられるようなものに取り組まねば。

使命感。使命感に燃えていた。

この使命感というのがなかなか厄介で、前記事でも書いたがこれもしんどさの元だ。

しかし、僕とこの「この大空に、翼をひろげて。」というゲームには長い間確執があった。

 

時間があれば、しよう。

 

そう思ってインストールして、数か月が経っていた。

他にも時間潰しに面白いと聞くゲームは買い揃えていたが、まずはこいつの相手をせねばならぬのではないかと感じていた。

まずこいつと出会ったのだって、ストーリーの良いエロゲを探していたからだ。そのうちの一つ、「見上げてごらん、夜空の星を」は正直ぱっと手が出せる値段ではなかった。エロゲのエロ部分は必要じゃないし、話を読みたいだけなのに万近くは抵抗があった。

同じ制作会社のこいつは、アプリで無料でプレイできるときた。

インストールしないわけがない。でも、時間があるときに。

正直、めちゃくちゃやりたい!って気持ちではなかった。なんかしらの時間潰しにしたかっただけ。だから後回しにしていたのだが。

今、僕はめちゃくちゃ暇だった。映画を見ても気分が悪くなる程度には画面、音に影響されやすく、テレビゲームもしたくなかった。

本を読めば文章はページに並ばず、僕を混乱させるだけのものになってしまった。

その点、ノベルゲームは(こんなアプリでやるだけに)一つ一つの文章が短い。

それでも繰り返し読まねば、僕の頭には入ってこなかったが。

人生でこんな暇になること、今後もあるだろう。だが、今、やろう。

実家には何も持って帰ってなくて暇だった。手元にあるのはこいつだけだった。

 

そんな訳で、僕はこいつをプレイしたのです。

畳む。ネタバレ有。

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未だ退職ならず

なんとも涙が止まらないので4月初旬に精神科を受診した。

適応障害うつ状態らしい。

今日、職場に提出するように診断書を貰ったらめちゃくちゃ簡素で笑ってしまった。

精神科通院ってすげー金がかかる。2回で1万くらいかかってしまった。

そーいうところで働いてたくせに全然知らなかったんだなあ。

 

3月中旬くらいからずっと休んでるけど、「休職扱いにしとくね」って言われてたのに欠勤扱いだったらしい。今回の診断書をもってして期間は不明だが病欠扱い、給与が発生するらしい。

会社勤めってすごいなあ。

んでもって退職の日もそのあと話し合って決めるらしい。

いくら急に休んで退職という道を選んだからといって長すぎでしょ。いや、僕が組織ナメてたのもあるなあ。

組織ってのはそうやって成り立ってんだもんね。

 

退職届自体は手元にあるんだけど。出しに行ったり、片付けに行ったり、最後に挨拶とかしたほうがいいのかなあ。それはちょっとできないというかしたくないけど。

 

こうぼんやりすることもなく過ごしてると、今までの自分が「~しないと!」って思いながら生きてきてたんだなあと思わされる。

なんにでも適用される。料理、生活、性格とか。

できることはレベルを下げないようにし続けるとか、できることはし続けたなきゃいけないって、思うレベルでもなくなんだろうなあ、生き方だったのかな。

 

それも全部やめて、ちょっと間自由に生きてみようと思う試みです。

退職の日はいつになるのか、その後の生活費はどうなるか諸々、考えたくない所存です。

仕事を辞めようと足掻いている話

22日、急に体が動かなくなり、やっとの思いで布団から出ても仕事の用意をすると思うだけで涙が溢れ、蹲って動けなくなった。

以前から寝る前に涙が出、2時間ほど経ってしまう。明日が来るのが怖く、寝られてもこの時期に暑さで起きたり、2時間ごとくらいに目が覚めてもう朝なのかと確認するような感じ。

寝る前に泣くと頭痛がひどく、起きてもその頭痛は引いてない。

その頭のまま出勤し、席に着くもすることは何もない。たまに急な仕事が入り、それで午前中がつぶれたりするとすごく気が楽で、でもその時目に入ったものは言葉としてはわかるけど、理解は出来てないような状態。ただ情報として脳がスルーしているような感じ。書類に字を書いててもちゃんと日本語かけてるかな?こんな字で良かったんだっけ?と確認することがすごく増えた。

目に入ったものをちゃんと認識出来てない不安と、免許取ったけどほとんど運転してない不安もあり、運転するのがすごく怖かったり。それで先輩に運転させたりして。

そんな状態でも、休みの日に出かける気力がある日は買い物に行ったりしてこれを励みに頑張ろうと思って出勤していた。

実は19日も頭痛がひどく、動くと吐きそうだったので休んでいた。無性に中村悠一の声が聴きたくなり、狐僕SS見て出かけて、明日はDrの来る日だから出勤して、あれとこれとと考えていた。僕が担当なのでやらなきゃいけない、と義務感?責任感?からだけで動いていた。

仕事はほとんどなく、そのやらなきゃいけないことはすごく一生懸命探して、時間が解決してくれることでもないので、その案件のためだけに出勤しているような状態だった。

火曜も特にこれといって無く過ごし、祝日は休めることがすごく幸せで安心した。

水曜は森田成一の声が聴きたくなったのでRewriteを見ていた。ストーリーがどうとかより、演技が気になるなあと思っていた。面白いとか面白くないとかは感じなかった。

木曜、Rewriteは見終わってなくて、気になりつつも出勤しなきゃと思った。

けど、行かなきゃという気持ちに体と心が全力で拒否した。

いつもの仮病だ、こんなことでサボっちゃダメだ、と言い聞かせても辛い気持ちは無視できず、職場には嘘を吐いて休んだ。

サボってしまった罪悪感と、でもそれ以上の辛さ、そして体が訴える不調(吐き気、下痢、胃痛、腸の痛み、頭痛)を無視したくて、アニメの続きを見た。

吐きそうだったのでほとんど食べず、弁当のために作ったそぼろはほとんど手を付けられずそのまま捨てた。

前日夜から食べていた鍋も手をつけられず、カビたので捨てた。

10月から暴飲暴食を繰り返していた自分からは考えられないほどの食欲の無さだった。

暴飲暴食といっても最初は買ってきたお菓子を何日かで分けて食べていたのが、一日ファミリーサイズを1袋一人で食べるようになり、直近では吐いてもいいから食べてないと落ち着かないというような有様だった。

食べても胃痛がし、食べなくても気分が悪く最悪の気分だった。

仕事を辞めるという選択肢は自分の中にはなかった。

「辞めたい」とは常々思っていたが、一人暮らしを続けるためには辞められない。辞めても未来がない。どうしようもないと思っていた。ここで続けられないのは自分が悪い。職場に合わせられない自分が悪い。もっと努力をすればいい。けど、どう努力すればいい?

ずっと考えていた。

思えば、4月入職して初日からこれが君の担当ね、と渡された。特に引き継ぎもなく、なにかやる必要がある際にのみ先輩に声をかけて教えてもらった。

常に暗闇にいるような気分だった。

同じ部署の他の先輩は皆忙しそうにしており、休憩時間もなく働いていた。

最初は僕に出来ることもないし、そういうものなのだと思っていた。

段々、何故僕はここにいるのか。何のためにここにいるのか、分からなくなってきた。ずっと仕事はなかった。

専門職としての知識をつけるようなことも出来ず、授業で習ったことのみで話をする不安、フォローを求められない状況が苦痛だった。

これでいいのか、いいわけないとは、多分5月には思っていた。けど、どうしたらいいのかもわからなかった。

やりたいこともなく、仕事は教えてもらえるのだと思っていた。

自慢じゃないが、教えられたら大体のことは出来たと思う。

それだけに、何も与えられない状況がかなりストレスだった。

でも、何がしたいわけでもないし、仕事がきても出来る自信がなくて、自分から言いだすことは出来なかった。

8月、仕事をくださいと訴えた。直後は何件か振ってもらえたが、継続の仕事ではないしすぐ収束した。

また、何もなくなった。

けど、12月までは絶対に続けるという気持ちがあった。個人的なイベントがあり、それだけが楽しみで4月から働き続けていた。12月が目標だった。

漠然とした不安と恐怖感を見ないふりをして、年度末を迎えた。

相変わらず継続的な仕事は無かったが、意地だけで出勤していた。

年末年始の休みを終え、新年出勤すると、目標もなくなっていることに気付いた。

1月から、虚無感が伴うようになった。

今まで以上になんのためにいるのだろう、と感じるようになった。このまま1年終えても、何にも出来ないままであることへの恐怖感は無視できなくなっていた。

それでも出勤していたのは意地と、やめたら未来が無いという歪んだ認識と、認知症でも僕のことを覚え、笑顔を向けてくれる患者さんの存在があった。

看護師には話せないけど僕には話してくれる患者さんがいた。僕を求めてくれると思った。この距離感はいけない、個人にこんな入れ込むのはいけないと思いながらも、間違いなく拠り所にしていた。

患者さんと自分史やアルバム、広報誌を作った。僕の独断で。看護師さんたちにはいい迷惑だったのではないかと思う。作るということは伝えたが、その保管方法や配布方法は病棟に全部押し付けてしまった。本当に申し訳ない。今、それも全部ほったらかしにしている。ごめんなさいと謝りたいが、もう顔を出す気にはなれない。

これも良い作用ばかりではなかった。本人の希望が無いのに作ったことで不安定にさせてしまった。

それも踏まえてどうするのがいいのか考えてもどうにもならなかった。無責任にその人の問題もあると思ったりしていた。

けど、どう患者さんと接するのがいいかとかの指導もなかった。

もう個人の裁量に任されていたから。

確固たる基準もないのに個人の裁量と言われても困ってしまったが、今までがそうだったからといわれてしまえば深く追及も出来なかった。

個人で動いても、部署の中でかなり知識に偏りがあり、僕なんかが対応した方はペラペラの知識で、間違いばかりで、後から電話がかかってきたりして、そこで全然違うと発覚したりして、でも分からないから対応への自信も日に日になくなっていった。

元々就職前からこの仕事への自信はなかった。けど、資格は取れてしまったし、周囲の目もあるし、逃げ出すことはできなかった。

仕事をしていく中で、自信をつけようと思っていた。

今思えば、こんな気持ちを伝えてなかったのが悪かったのかもしれない。

どうにも本心を人に話すことができず、流されるまま生きている僕が悪かったんだろう。

この1年で人に頼ることを覚えた。もっと相談していいんだと思うようになった。

それだけが学びだったかもしれない。

秋ごろからちょくちょく明日が来るのが嫌で泣いてしまうようになった。これは学生時代からあったのだが、入職してからは月に1度くらいだった。毎日がしんどく、出勤する意味を考え、毎日8時間拘束されるログインボーナスだと思うようにして心をごまかしていた。

2月中旬には毎日そんな状態だった。最初に書いたように、視界に物は入るけど理解できてるかわからなくなり、集中力も無くなり、仕事中でも関係なく涙が出るようになった。

周りに迷惑をかけないように、バレないようには気をつかっていた。

それでもなんとかなるくらい、仕事はなかった。

けどだましだましなんとか出勤していた。もう給料をもらうのも苦痛だった。もらっていいほどの仕事はしてなかった。

最初こそ仕事せず給料もらってラッキー、くらいだったが、ボーナスの額を見て胃が痛くなったのを覚えている。同時に吐きそうだった。

毎日をどうすごすか考えるようになった。もう転職とかを考える段階では無くなっていた。考えられなくなっていた。こんな知識もない人間が余所でやっていけるわけない。そして、そんな状態で辞めるともっと未来が無い。ここでちょっとずつ経験値を積むしかないのだと思っていた。

毎日用意していた弁当、といってもサーモスに詰めただけのものも用意できなくなっていた。

何が食べたいと思うことも無くなり、ただ空腹を満たせれば良かった。職場では膨大な量のお菓子を貰えたので、そのお菓子も結構な量を一気に消費していた。

自分の体調を省みることも無くなっていた。どれだけ便秘が続こうと、痛みを感じても考えないようにしていた。とにかく出勤することにパワーが必要だったのだと思う。

信じてもらえないかもしれないが、21日は出勤する気満々だった。

頑張るぞ、と。同じ病棟のOTさんに迷惑はかけられん、と。一般病院に胃ろうの依頼もしてるし、と。考えていた。

けど、22日起きると動けなかった。

正直、もう一人暮らしもやめたい。もう出来ない。自分のことをするのもしんどい。自分なんてどうでもいい。

今、休職扱いになってるのかも分からんが、風呂も飯も家事もせず、見た目も気にせずぼんやりして、毎日行かなくていいと思うだけですごく気が楽で、それだけで幸せ。

髪をとく、ちょっと整えることもできない。それをするだけでも自分はパワーを使ってたのかもと思う。

今まで何事からも逃げてきたので、今のこれが甘えじゃないのかと疑ってならない。けど、つらいのも事実で涙が出るのも事実。

これはおかしい、辞めていいと訴え続けてくれた友達のおかげでけついすることができました。ありがとう。

ここまで来ないと限界だと認められない自分が情けない。

突然休んで迷惑をかけてる自分が情けない。

途中で投げ出してる自分が情けない。

けど、業務改善して戻ったところで上の人たちが今以上に業務が増えてしまうのでは。自分ががまんできなくてわがまま言って、そんな負荷をかけたくない。だから辞めたい。

僕がいなくなってから、次の人は同じ目に合わせないと思ってくれたらそれでいいので、僕はこのまま辞めさせてください。