何もしてないのにパソコンが壊れた

タイトル通りなんですが、本当に何もしてないのに壊れた。

もう8年目くらいのノートなんで寿命もあると思う。

もうずっとWebを立ち上げたページが中華のなんかよくわからんページに乗っ取られてるし、やたら広告でるし、ウイルスバスターとかしてないし。

いろいろダウンロードするし、まあしょうがないとは思っている。

これを機にiPadとかにしようかな~と思ったりもする。わざわざノートとかデスクとか使う仕事もしないし、パッドに無線キーボードつなげばいいし~。

でもそれだとアイチューンの管理がなあというところでやっぱりパソコン新調するかなあ、という感じ。

ゲームもするしね。安いノート探そうかしら。

 

探すと言えば仕事なんですが。

最近やっと就活始めまして、何回か面接も受けてんですが正社員じゃ厳しいっぽい。

派遣ならすぐにいけるとこありますとは言われてるんだけど、派遣じゃちょっと生活厳しくないすか?

けど正社員にこだわって全く見つからないよりさっさと派遣した方が貯金に優しいし~ワンチャン正社員雇用ありますよねえ。責任のない仕事がしたいんだし、残業したくないし。

もうちょっとやってみて無理だったらもう派遣にしようかな~くらいの気持ち……。

自分で自分を養うのって大変だなあ。働きたくねえ~~~~~。

それか国家資格あるんだしそれで復職するか。そこは自分で決めないとねえ。

なにがいいのかしらねえ。

 

パソコンがこわれた話題に戻りますが、ゲームの攻略開いてユーチューブ見てたら突然切れたんですよね、電源が。

焦る。初期化するしかねえと出てくる。焦る。バックアップを復元を選ぶも、バックアップなんかとってなくね?と気付く。中止。1時間くらい待つ。なんとか復元する。というプロセスがありまして、いまもなんとか動いている。

しかし、起動からこのブログを書く画面を開くまでに25分かかった。

別窓開くだけでもめっちゃ時間かかるし。なのでほとんど触らないようにしている。

攻略見ながらゲームしたいんですけどねえ~~~。

 

何のゲームしてたかっていうと、アルトネリコ3と2。

元々中学の時に無印を途中までやって、結構ぬるいRPGなんだけどマップの見にくさが鬼で迷いに迷ってやめたゲームを大学の時にやり直し、2もその流れでやったんです。

無印はED曲がいいし、2はストーリーがとても良い。ヒロインも可愛いし声優も結構豪華。スチルはちょっと親に見られたくない系。

曲が民族系というか神話系?というか、荘厳な感じ。すげー好き。

で、3が出てもう何年経つんだ?ってくらい前なんですけど、今更やってたんですよ。

3は今までとちょっと違う感じのBGMが多くて気になってて。友達からストーリーがアレなんで辞めた方がいいとは言われてたんですが。

結論から言うとほんとやらなくていいゲームだった。僕の40時間を返してくれ。

なんていうかどうしても2と比べてしまうんで正当な評価ではないねんけど、どこに力入れた?みたいな。

2の時のパッションを全く感じないが?みたいな。

3はなんか、ヒロインを好きになる理由も主人公が戦う理由もなくて、流れで星救ったぜwという話。

2は主人公はヒロインの一人を護る騎士だし、ヒロインの一人とはフィアンセだし、ヒロインを選ぶ理由もちゃんとあるし、なによりヒロインに対してかなり誠実なんだよ。僕が2の主人公好きすぎるだけなんだけど、それにしても3は酷い。

3はヒロインのキャラもブレブレだし(しょうがない部分はあるけど……)コスモスフィアの掘り下げが浅すぎる。

今までのシリーズの3人目、4人目のヒロインのコスモスフィアで遊んでる感が全ヒロインにあるのはきつい。ヒロインを好きになる要素を盛り込んでくれえ。

CGもガビガビだし動きぎこちないし、許せなかったのが階段で ガガガガガ って動きをすること。

これはいつのゲームだよ。PS3だぞ。それでこんな動きするゲーム、あるかぁ?

だからフィールドはドットがいいんだよ!

そんな出来のCGでキャラ脱がせてもな~~~~~~~~~~~~~~んも面白くないんじゃあ。

ストーリー的には下の中って感じかなあ。王道やけど……。

ストーリーに絡んだヒュムノスが全然なかったのも残念。

いやでも3が悪いんじゃなくて2が良すぎただけだから、さ。

3の出来が悲しすぎて2をやり直した。3人目のヒロインのルートに入り、EDを見、そこで流れるヒュムノスに涙。

こんなかっこよくて性格良くてデキる男おるぅ!?他に!おらんてえ~~~!となる。設定資料集も買った。

けど、しばらくテレビでするゲームはいいかな。目が悪くてしんどい。

テイルズを友達に借りたのだけどしばらく積みです。

7月はゲームして過ごしたのだが、今は青い鳥文庫の怪盗クイーンシリーズなど読んでいる。

退職してすぐ、唯一の趣味の読書ができなくなりまして。

開いて字を追うと眩暈がしてとても読める状態じゃなくて。

それのリハビリに軽い奴が読みてえなあと思って手に取りました。

小学上級が対象の本ですから、めっちゃ読みやすい。ここ1年京極(新書サイズのいわゆるレンガ)しか読んでなかった僕ですから、字の大きさとか本のサイズとかめちゃくちゃ優しく感じる。

内容もほどよくおバカで良い。軽く読めるけど内容はあるしちゃんとストーリーも展開する。

 

読書始めた当時、10歳で宮部みゆきなど読んでいて、世界にある本は全部この密度なんだと思っていたんですよねえ。

なので小学生にして青い鳥文庫バカにしてまして。

多分はやみね先生作品で初めて手に取ったの(そして唯一の作品)が夢水シリーズの「そして5人はいなくなる」?だったと思う。

なかよしでコミカライズされてて読んで、本でも読みたいなと思ったのがきっかけ。

して、なんじゃこの軽いノリは!?と拒絶反応が出てもう絶対二度と読まないと思ったんですよねえ。

なんで、一回り時が過ぎて今、僕がこれを読んでると思うと人は変わるなあと思ったりする。

先日クロスアンジュをみたので、人はすぐ意見を変えてもいいと学んだ。

本は出会うべくして出会うし、時期があると思ってるので今でいいんだと思います。

けど、小学生の自分には「もっと子どもしてなさいよ」と言ってやりたい。

早く大人になったら生きやすいのだと思ってた自分よ、全くそんなことはない。大人は思ってるより頭が悪いし、何も考えてないし、無責任でユーモラスだ。僕ももっとユーモアセンスを学ぶべきだったんだよなあ。しかしそれは中学で剥奪されたので、その時分の僕に言っても意味はないが。

もっと子どもらしく柔軟に生きられたら今はこんなんになってなかったのだと思う。

誰もそう生きていいと教えてくれなかった、というのは責任転嫁ですが。真面目に生きても得なんかないんだってことはおしえてほしかったかな。せいぜい大学までなんだからもっと遊びなさいって大学の自分に言ってやりてえ。そのまま専門なんか行かず適当に就活して、無理ならバイトでいいからしろって、続けて働けって言いたい。

変に専門なんか行って正社員にこだわる意味はないんだって教えてやりたい。せめて自分は正社員になって親を安心させたいとか考えなくていいんだっていうのは、今の自分にも効くかも。

もっと自分のために生きなさい、というのは、とても難しいことですね。

 

なんじゃこりゃ。

最近深夜はこんなことばっか考えて寝れないので、いい加減吐き出すことにした次第。

就活うまくいきますよ~に。

友だちが欲しいリターンズ

本気で友達が欲しい。

これは僕がニートだからであって、自分に要因があるんですが、日中話し相手がいないことにも最近慣れてまいりまして(最近命を救われる作品との出会いがあったことも生きる希望である)だからといってすることもしたいこともないのでやっぱり話し相手が欲しい。

街コンオタコンなんかは日和るし、行っても成功しなかった(6月初めに言ったので気が向いたら書きます)。

あれはなんかお互いそういう目的で来てるけど熱量が違うって言うか(年齢的にも)距離感をはかりかねる。

絶対彼氏彼女が欲しいってわけでもない。ただ人と知合いたいんだよぉ!友達が欲しいんじゃこちとら!!てな気分ですよ。

友達コンみたいなのがあるみたいなので、近場で探してあったら行こうかなくらいの気持ちです。

羊と鋼の森を見た感想

全く見る予定はなかったが、予告は見ていて気になっていたので見てきた。

ピアノ調律師の青年の成長物語。

主人公・外村は調律の最中森の情景を見る。彼がピアノと向き合い、見るものとは。目指す場所は、なんなのか。

 

感想を一言で言ってしまうと、ピアノ調律師としての自信の無い主人公に感情移入してしまい、ボロボロ泣いた。

僕も自信がないよぉ~って泣いて辞めたので、彼と比べ支えてくれる周囲の人間や出会う人々を比較し(まああくまでフィクションなのだが……)いろいろ考えてしまった。

 

映画の印象としては、ピアノの調律を詳しく追う訳じゃないので視聴者にその音の良い悪いがわかるわけではない。ピアノもしてなかったし、もうフィーリングで見るしかない。楽器をしてる人ならわかるのかもしれない。

BGMはほとんどなかったような。ピアノを演奏することが多いのでその音は非常に耳に残る。

主人公の心像イメージとして挟まれる自然の映像が美しい。もうそういう映像美に全振りしてるんじゃないかって感じ。

 

主人公がピアノの調律師を目指したのは、高校で偶然調律師と出会ったから。

家族を説得し、東京で勉強し地元の楽器店に就職する。

1年目に担当をもたせるのは普通なのか?地道に経験を積んでいく。

様々な家族、ピアノと出会い調律師としてどうするのが正しいか……を考えていく。

ある姉妹のピアノの調律を頼まれ、一人で引き受けるも失敗してしまう。自信を無くしていると、祖母が亡くなったとの訃報が。

実家に帰ると、弟と衝突する。「兄ちゃんはばあちゃんの自慢だったんだよ!おれもばあちゃんに世界見せたかったよ……」みたいなセリフがジーンとくる。

この出来事を経て、調律師としてもう一度頑張ろうと職場に戻る。

 

僕はこの辺で完全に自分と比較していた。

家族に話して、勉強して、一人暮らしして就職して。

自信も、どこをめざしていいかもわからない。

色んな家族やピアノがあって、どうするのが最適なのか?相手のニーズを汲めるか?それに応えられるか?

僕は、このプレッシャーに勝手に負けてしまった。別に先輩に相談できなかったわけじゃないけど、この主人公のように失敗を認めて反省と言うのが出来ない。半生は刷るけど、それを口に出すだけで辛いので質問できないのだ。

自分の中の理想が非常に高い。そこにいたれない自分が情けない。みっともない。

常に自分の重圧を感じている。

この映画の中で、「ピアノがピアニストに影響を与えることはない」というセリフがある。

それはそうだろう。物質と人とでは。でも、人が物質に作用して、人が使う。結局は人が関わっている。

僕はここが、人対人だった。

この主人公・外村も「じゃあ僕はなんのために調律してるんだ!?」と吠え、先輩に「思い上がるな」と一喝される。

やはり、人の家に上がる職業だから、人との距離が近い。その気持ち、非常に良くわかる。

 

「自分がどうにかしてあげなければ」という気持ちを消すのは、難しい。

 

外村は経験を積み、試行錯誤し、考えて最後、調律するだけではないのだと学んだ。

環境に合わせた調律をするんだ、と結論を出した。自分の夢も持った。

 

けど、僕は経験が無かったし……と言い訳が尽きない。

 

見ている途中、この映画と自分の経験を重ねない人はいるのだろうかと思った。

自分の描いた夢や理想、叶わなかった思い。誰でもあるはず。

その遺恨が、この映画の映像美で洗い流されているような気分になった。

 

普段人が死ぬ映画を好む僕だが、この映画も人が死ぬ。

仕事で行った先の家族と、主人公のばあちゃんと。

このばあちゃんが結構くせものだ。

セリフはないが、視線だけで訴えてくる。自分を見守ってくれる人はいるんだと。

僕はおばあちゃんっ子だったもんで、そんなに登場しないばあちゃんなのにボロボロ泣ける。

 

以上で感想は終わる。

一緒に見た母はうーんあんまりって感じだったそうなので、僕が異常に没入してただけかもしれないが、次の職をどうするか、もう同じ職種は出来ない……と思ってた僕にとても勇気をくれた映画だった。

もう一度頑張ってみようか、と前向きになれる良い映画でした。

最初からいた「もの」に新しく興味を持つのは難しい。

眠れないので氷結など飲みながら。

家族、またはそれに準拠する存在って、生まれてから絶対いるものなので、興味を持つ対象ではないように思う。かなり幼少期に興味持って、自我が生まれる頃にはもう対象から外れてんじゃないかな。

親の恋愛とかを意識する年になるまでは。

なんとなくそう思った。

よほど尊敬に値するとか、なんか成し遂げたとか、逆に病気になったとかじゃないと、家族を振り返る機会ってないような。

僕はなんとなく今になって、父親というものを意識している。

 

父は、僕が中学に上がるくらいまでは朝5時に家を出て夜11時すぎに帰ってくるような仕事をしていた。なもんで、平日は滅多に会わない人だった。毎週金曜、少し早めにアイスを買って帰ってくる。僕は父が帰ってくることより、アイスが楽しみだった。

世間の父親もみんなそうだと思ってた。

日曜だけ家にいて、朝は寝てるけど昼からは買い物に行ったり、公園に遊びに行ったりした。

僕は、小さい頃父が大好きだった。

それが変化し始めたのは、兄弟が中学に上がり、成績や進路のことで親と衝突し始めた頃じゃないかと思う。

別に衝突してたわけじゃないけど、頭が悪いので進路先がない、どうするかとピリピリしていた。

兄弟もハッキリしない人なので、逃げるように家出をしたりする。

探し回って、マンションの踊り場にいるのが常。帰ってきたら大声で怒鳴られている。

僕はそれを見て、「家出をしても無駄」「怒鳴られないように過ごそう」と思っていた。

僕も頭がいいわけではない。けど、塾に行って勉強している人間に食い込めるくらいの順位を保っていた。家でも内申点を気にしているような生活なので、中学ではもちろん先生に怒られるとかなく過ごしていた。

高校受験は簡単だった。ついでに大学も。全部AOで通っている。

中学では平均くらいだったが、実際僕はかなり馬鹿な部類に入ると思う。純粋な学力はかなり低い。数ⅠAも解けない。

だから、推薦に逃げた。失敗はしなかった。

大学も、ずっと金がかかるとは言われたがきょうだいも行っているのに僕だけ行かさないわけにはいかんと思ったようで小言で済んだ。

勉強はできないし普通に働きたくなかった僕は、専門職に就けば安定した生活が送れると思うようになっていた。多分、高校受験の時から意識はしていたが、何の職に就くかまでは考えてなかった。

大学進学に際して、心理系を選んだがために臨床心理士を視野に入れていたが英語ができない。中学1年の英語すら怪しいと思う。シーハーハーハーまで。綴りも書けないかも。

そんな僕が英語の論文読んで大学院受験に挑むわけもなく、ソーシャルワーカーに目を付けた。

精神系であることに違いはないし、国家試験も比較的簡単である。正直、臨床心理士は出来ないだろうなと思ってたので、方向転換(先に話しておくが、ソーシャルワーカーも1年で辞めている……)。

4年大出た後に専門で勉強したいと言うと、金の話をされた。

僕はバイトしてたので入学金を自分で払うので、後は出してくれないかと言った。

かなりしぶしぶと言った感じだったが、やりたいならと後押ししてくれた。

この時、僕は出して当然では?くらいに思っていた。

 

さて、話は今に戻る。

仕事を辞めたいと親に言ったとき、じゃあ今後どうするのかと言われた。すぐには考えられないので少し時間が欲しい。ちょっと違う職を挟んでソーシャルワーカーに戻るのもありじゃないかと考えている旨を伝えた。

正直、自分のトラウマに向かい合うため勉強をした。今後生きていくうえで必要な知識だろうと思った。それは自分だけじゃなく、家族にとっても。

でも、やり遂げられなかった。人の支援にはかなりパワーを要する。気も遣う。

そして直接的な指導もなく新人でも個人の裁量に任せるスタイルが僕には合わなかった。

できないよォ~と逃げた。

だから親にも(人の支援をする)自信が無いと言った。

自分でも1年そこらで出来るもんじゃないとは思っているが、指導なしで何年続けても自分に疑問を持ち続けることになるんだろうと思ったら耐えられなかった。

この時は別の職場を見つけられたらそこではやっていけるんじゃないかと本当に思っていた。

全部を言った訳ではないから「言い訳か」と吐き捨てられた。

僕にとっては、何の努力もせず出来ないと言っている訳ではない。上司や部署、担当にいろいろ持ちかけてできることはやったうえで、でも頑張れないとずっと苦しんだ1年だったのをそんな言葉でまとめられて、カッとなった。

父は、つまり専門に行かせたのが無駄だと。その金を返済することが条件だったはずだと言っているのかと思うようなことを言ったのだと思う。覚えてないけど。

「結局金ってこと?」と僕が言うと、食器を投げるモーションをされる。

中学以降怒られることなんてしてなかったので、ほんとにビビった。これが軽いトラウマ(1)。

「進学させた気持ちを考えろ」と言われても、僕もパニックだったし多分父も高揚していたので、その場は終わった。

 

ただ、この「気持ちを考えろ」は未だに引っかかっている。

これを言われるまで、進学費用を出すのは当然だと思っていた。

だから、成人式なんかの親への感謝とか、なんも言葉が出なかった。当たり前のことに感謝は出来ないから。

これは別の側面の問題もあるので、また別の機会に。

けど、今回初めて父の本心を垣間見た気がして、引っかかって、僕はじゃあどうしたらいいのか、全く動けなくなっている。

その後日、父は全く別のことでまた怒っていた。

僕は不在にしていたが、大黒柱に食べさせるには貧層すぎる食事が続いたと立腹していた。

「俺はロボットじゃねえ。金を持ってくるだけの機械じゃねえ。人間だ。今までがまんしたが、もう限界だ。もう働かねえ。出ていく」と。

後日、本気で母に離婚を持ちかけたらしい。けど、今のとこ別れてもないので、感情をぶつけたかっただけなんじゃねえかな。

けど、僕はこれを聞いてすごく怖かった。

父は進学を絶対させてくれる人じゃないんだ。無理をしていたんだ。

被害妄想的だったので、金をかけたのに1年で仕事を辞めた人間は役立たずだと言われているように感じ、今も立ち直れていない。

今まで、友人に進学させてくれることのありがたさを懇々と話されても「生んだ以上当然」としか思ってなかったが、違ったんだと今になって気付いて。

僕は情けない。これは職場に行けなくなってからずっと思ってることなんだけど。

いい人ばかりだったのにつづけられなかったこと。親が応援してくれたのにつづけられなかったこと。そして、今、無職で一人暮らししている状態でも金銭的に大丈夫なのかと心配されていること。

全て情けないよね。もう。これだけで涙が止まらない。

ここまで言われて、違う職を選んだら、僕はもう実家に顔出しできない。けど、もうできる気もしない。という板挟みにいた。いや、今もいる。

けれども、また別の友人が「親が金を出すのは当然」派だったので、まあつける仕事ならなんでもいいからとりあえず探すか……とすこし前向きになっていたらいいな。

 

タイトルからズレにズレているようにも思うけど、父への感じ方が日々変化しているということです。

父は僕は中学生の時ODで死のうとして以降、もう恐怖の対象でしか無くて。大好きだった父が目の前で死を選んで苦しんでるんですよ。周りに頼れる大人もいなくて。僕は2歳か3歳の弟連れて、近所の祖母の家に逃げたんです。逃げたんですよ……。

なんとか繕って話していたんですが、今回のこともあり結局どう思われてるのかわからない。多分父もなんとなくそれは嗅ぎ取ってるので、あんまり話し掛けてはこない。

今の僕の状況を心配してくれてはいるけど、金のかかる糞寄生虫だと思われてるんだったら絶対に援助はしてもらわないし(また噴火するのが怖いので)。

 

父への感じ方なんて、子どもの頃は全く気にしてなかったので、現時点での僕がそういえばあの時が転機だったんじゃないか、あの時はこうだったんじゃないかと思ってるだけなんですが、四半世紀生きてきて初めて父の日なんか考えようと本気で思っているということです。

母の日はハードル低いけど、父の日はまじでなにしていいかわからんのよね。何が好きとか何が欲しいとかも今まで気にしたことなかったし、絶対言わない人だし。

 

以上、酔っ払いが泣きながら書きました。

僕は友達が欲しい

何がしたいかな?と考えた時に、「カラオケに行きたい」「旅行に行きたい」「話したい」「買い物に行くのも楽しいかも」と思うが、これにはすべて『友達と』という言葉がくっついてくる。

少し前から「シャボン玉、したいな」と思いつつも鬱々とした思考に飲み込まれ、忘れていた。今日百均に行って思い出したので、買ってきた。アメフトの会見のニュースなど横目に僕はシャボン玉をしてみたが、ベランダから向かい風で部屋に入ってきた。上に飛ばない。

楽しくない……。

てゆーか、24歳一人でシャボン玉は楽しくない。

でもここに、友達がいたら。

「部屋に入ってきた!」「とばねー!!」

と、一気にはしゃげる。

一人遊びが上手な人は一人でも楽しいかもしれないけど、僕はいつも誰かといたので誰かとはしゃぎたいのである。

 

もうなんでもいいんだけど、なにかをだれかとしたい。話し相手が、友達が欲しい。

これを認めるのに10年くらいかかってしまった。これも友達がいないとこで一人暮らしなんかしたせいなんだろう。

まあ、一人だから楽しいこともある。あまりに暇で、一人で、城の周りを歩いて見たりした。これはこういう散策好きな人としか出来ないので、一人の方が気が楽って言うのもある。

でも、僕は結局誰かと行動を共にするのが好きなので、誰か僕と友達になってください。

なんかコミュニティ的なものを探してみようかな。