最初からいた「もの」に新しく興味を持つのは難しい。
眠れないので氷結など飲みながら。
家族、またはそれに準拠する存在って、生まれてから絶対いるものなので、興味を持つ対象ではないように思う。かなり幼少期に興味持って、自我が生まれる頃にはもう対象から外れてんじゃないかな。
親の恋愛とかを意識する年になるまでは。
なんとなくそう思った。
よほど尊敬に値するとか、なんか成し遂げたとか、逆に病気になったとかじゃないと、家族を振り返る機会ってないような。
僕はなんとなく今になって、父親というものを意識している。
父は、僕が中学に上がるくらいまでは朝5時に家を出て夜11時すぎに帰ってくるような仕事をしていた。なもんで、平日は滅多に会わない人だった。毎週金曜、少し早めにアイスを買って帰ってくる。僕は父が帰ってくることより、アイスが楽しみだった。
世間の父親もみんなそうだと思ってた。
日曜だけ家にいて、朝は寝てるけど昼からは買い物に行ったり、公園に遊びに行ったりした。
僕は、小さい頃父が大好きだった。
それが変化し始めたのは、兄弟が中学に上がり、成績や進路のことで親と衝突し始めた頃じゃないかと思う。
別に衝突してたわけじゃないけど、頭が悪いので進路先がない、どうするかとピリピリしていた。
兄弟もハッキリしない人なので、逃げるように家出をしたりする。
探し回って、マンションの踊り場にいるのが常。帰ってきたら大声で怒鳴られている。
僕はそれを見て、「家出をしても無駄」「怒鳴られないように過ごそう」と思っていた。
僕も頭がいいわけではない。けど、塾に行って勉強している人間に食い込めるくらいの順位を保っていた。家でも内申点を気にしているような生活なので、中学ではもちろん先生に怒られるとかなく過ごしていた。
高校受験は簡単だった。ついでに大学も。全部AOで通っている。
中学では平均くらいだったが、実際僕はかなり馬鹿な部類に入ると思う。純粋な学力はかなり低い。数ⅠAも解けない。
だから、推薦に逃げた。失敗はしなかった。
大学も、ずっと金がかかるとは言われたがきょうだいも行っているのに僕だけ行かさないわけにはいかんと思ったようで小言で済んだ。
勉強はできないし普通に働きたくなかった僕は、専門職に就けば安定した生活が送れると思うようになっていた。多分、高校受験の時から意識はしていたが、何の職に就くかまでは考えてなかった。
大学進学に際して、心理系を選んだがために臨床心理士を視野に入れていたが英語ができない。中学1年の英語すら怪しいと思う。シーハーハーハーまで。綴りも書けないかも。
そんな僕が英語の論文読んで大学院受験に挑むわけもなく、ソーシャルワーカーに目を付けた。
精神系であることに違いはないし、国家試験も比較的簡単である。正直、臨床心理士は出来ないだろうなと思ってたので、方向転換(先に話しておくが、ソーシャルワーカーも1年で辞めている……)。
4年大出た後に専門で勉強したいと言うと、金の話をされた。
僕はバイトしてたので入学金を自分で払うので、後は出してくれないかと言った。
かなりしぶしぶと言った感じだったが、やりたいならと後押ししてくれた。
この時、僕は出して当然では?くらいに思っていた。
さて、話は今に戻る。
仕事を辞めたいと親に言ったとき、じゃあ今後どうするのかと言われた。すぐには考えられないので少し時間が欲しい。ちょっと違う職を挟んでソーシャルワーカーに戻るのもありじゃないかと考えている旨を伝えた。
正直、自分のトラウマに向かい合うため勉強をした。今後生きていくうえで必要な知識だろうと思った。それは自分だけじゃなく、家族にとっても。
でも、やり遂げられなかった。人の支援にはかなりパワーを要する。気も遣う。
そして直接的な指導もなく新人でも個人の裁量に任せるスタイルが僕には合わなかった。
できないよォ~と逃げた。
だから親にも(人の支援をする)自信が無いと言った。
自分でも1年そこらで出来るもんじゃないとは思っているが、指導なしで何年続けても自分に疑問を持ち続けることになるんだろうと思ったら耐えられなかった。
この時は別の職場を見つけられたらそこではやっていけるんじゃないかと本当に思っていた。
全部を言った訳ではないから「言い訳か」と吐き捨てられた。
僕にとっては、何の努力もせず出来ないと言っている訳ではない。上司や部署、担当にいろいろ持ちかけてできることはやったうえで、でも頑張れないとずっと苦しんだ1年だったのをそんな言葉でまとめられて、カッとなった。
父は、つまり専門に行かせたのが無駄だと。その金を返済することが条件だったはずだと言っているのかと思うようなことを言ったのだと思う。覚えてないけど。
「結局金ってこと?」と僕が言うと、食器を投げるモーションをされる。
中学以降怒られることなんてしてなかったので、ほんとにビビった。これが軽いトラウマ(1)。
「進学させた気持ちを考えろ」と言われても、僕もパニックだったし多分父も高揚していたので、その場は終わった。
ただ、この「気持ちを考えろ」は未だに引っかかっている。
これを言われるまで、進学費用を出すのは当然だと思っていた。
だから、成人式なんかの親への感謝とか、なんも言葉が出なかった。当たり前のことに感謝は出来ないから。
これは別の側面の問題もあるので、また別の機会に。
けど、今回初めて父の本心を垣間見た気がして、引っかかって、僕はじゃあどうしたらいいのか、全く動けなくなっている。
その後日、父は全く別のことでまた怒っていた。
僕は不在にしていたが、大黒柱に食べさせるには貧層すぎる食事が続いたと立腹していた。
「俺はロボットじゃねえ。金を持ってくるだけの機械じゃねえ。人間だ。今までがまんしたが、もう限界だ。もう働かねえ。出ていく」と。
後日、本気で母に離婚を持ちかけたらしい。けど、今のとこ別れてもないので、感情をぶつけたかっただけなんじゃねえかな。
けど、僕はこれを聞いてすごく怖かった。
父は進学を絶対させてくれる人じゃないんだ。無理をしていたんだ。
被害妄想的だったので、金をかけたのに1年で仕事を辞めた人間は役立たずだと言われているように感じ、今も立ち直れていない。
今まで、友人に進学させてくれることのありがたさを懇々と話されても「生んだ以上当然」としか思ってなかったが、違ったんだと今になって気付いて。
僕は情けない。これは職場に行けなくなってからずっと思ってることなんだけど。
いい人ばかりだったのにつづけられなかったこと。親が応援してくれたのにつづけられなかったこと。そして、今、無職で一人暮らししている状態でも金銭的に大丈夫なのかと心配されていること。
全て情けないよね。もう。これだけで涙が止まらない。
ここまで言われて、違う職を選んだら、僕はもう実家に顔出しできない。けど、もうできる気もしない。という板挟みにいた。いや、今もいる。
けれども、また別の友人が「親が金を出すのは当然」派だったので、まあつける仕事ならなんでもいいからとりあえず探すか……とすこし前向きになっていたらいいな。
タイトルからズレにズレているようにも思うけど、父への感じ方が日々変化しているということです。
父は僕は中学生の時ODで死のうとして以降、もう恐怖の対象でしか無くて。大好きだった父が目の前で死を選んで苦しんでるんですよ。周りに頼れる大人もいなくて。僕は2歳か3歳の弟連れて、近所の祖母の家に逃げたんです。逃げたんですよ……。
なんとか繕って話していたんですが、今回のこともあり結局どう思われてるのかわからない。多分父もなんとなくそれは嗅ぎ取ってるので、あんまり話し掛けてはこない。
今の僕の状況を心配してくれてはいるけど、金のかかる糞寄生虫だと思われてるんだったら絶対に援助はしてもらわないし(また噴火するのが怖いので)。
父への感じ方なんて、子どもの頃は全く気にしてなかったので、現時点での僕がそういえばあの時が転機だったんじゃないか、あの時はこうだったんじゃないかと思ってるだけなんですが、四半世紀生きてきて初めて父の日なんか考えようと本気で思っているということです。
母の日はハードル低いけど、父の日はまじでなにしていいかわからんのよね。何が好きとか何が欲しいとかも今まで気にしたことなかったし、絶対言わない人だし。
以上、酔っ払いが泣きながら書きました。