羊と鋼の森を見た感想

全く見る予定はなかったが、予告は見ていて気になっていたので見てきた。

ピアノ調律師の青年の成長物語。

主人公・外村は調律の最中森の情景を見る。彼がピアノと向き合い、見るものとは。目指す場所は、なんなのか。

 

感想を一言で言ってしまうと、ピアノ調律師としての自信の無い主人公に感情移入してしまい、ボロボロ泣いた。

僕も自信がないよぉ~って泣いて辞めたので、彼と比べ支えてくれる周囲の人間や出会う人々を比較し(まああくまでフィクションなのだが……)いろいろ考えてしまった。

 

映画の印象としては、ピアノの調律を詳しく追う訳じゃないので視聴者にその音の良い悪いがわかるわけではない。ピアノもしてなかったし、もうフィーリングで見るしかない。楽器をしてる人ならわかるのかもしれない。

BGMはほとんどなかったような。ピアノを演奏することが多いのでその音は非常に耳に残る。

主人公の心像イメージとして挟まれる自然の映像が美しい。もうそういう映像美に全振りしてるんじゃないかって感じ。

 

主人公がピアノの調律師を目指したのは、高校で偶然調律師と出会ったから。

家族を説得し、東京で勉強し地元の楽器店に就職する。

1年目に担当をもたせるのは普通なのか?地道に経験を積んでいく。

様々な家族、ピアノと出会い調律師としてどうするのが正しいか……を考えていく。

ある姉妹のピアノの調律を頼まれ、一人で引き受けるも失敗してしまう。自信を無くしていると、祖母が亡くなったとの訃報が。

実家に帰ると、弟と衝突する。「兄ちゃんはばあちゃんの自慢だったんだよ!おれもばあちゃんに世界見せたかったよ……」みたいなセリフがジーンとくる。

この出来事を経て、調律師としてもう一度頑張ろうと職場に戻る。

 

僕はこの辺で完全に自分と比較していた。

家族に話して、勉強して、一人暮らしして就職して。

自信も、どこをめざしていいかもわからない。

色んな家族やピアノがあって、どうするのが最適なのか?相手のニーズを汲めるか?それに応えられるか?

僕は、このプレッシャーに勝手に負けてしまった。別に先輩に相談できなかったわけじゃないけど、この主人公のように失敗を認めて反省と言うのが出来ない。半生は刷るけど、それを口に出すだけで辛いので質問できないのだ。

自分の中の理想が非常に高い。そこにいたれない自分が情けない。みっともない。

常に自分の重圧を感じている。

この映画の中で、「ピアノがピアニストに影響を与えることはない」というセリフがある。

それはそうだろう。物質と人とでは。でも、人が物質に作用して、人が使う。結局は人が関わっている。

僕はここが、人対人だった。

この主人公・外村も「じゃあ僕はなんのために調律してるんだ!?」と吠え、先輩に「思い上がるな」と一喝される。

やはり、人の家に上がる職業だから、人との距離が近い。その気持ち、非常に良くわかる。

 

「自分がどうにかしてあげなければ」という気持ちを消すのは、難しい。

 

外村は経験を積み、試行錯誤し、考えて最後、調律するだけではないのだと学んだ。

環境に合わせた調律をするんだ、と結論を出した。自分の夢も持った。

 

けど、僕は経験が無かったし……と言い訳が尽きない。

 

見ている途中、この映画と自分の経験を重ねない人はいるのだろうかと思った。

自分の描いた夢や理想、叶わなかった思い。誰でもあるはず。

その遺恨が、この映画の映像美で洗い流されているような気分になった。

 

普段人が死ぬ映画を好む僕だが、この映画も人が死ぬ。

仕事で行った先の家族と、主人公のばあちゃんと。

このばあちゃんが結構くせものだ。

セリフはないが、視線だけで訴えてくる。自分を見守ってくれる人はいるんだと。

僕はおばあちゃんっ子だったもんで、そんなに登場しないばあちゃんなのにボロボロ泣ける。

 

以上で感想は終わる。

一緒に見た母はうーんあんまりって感じだったそうなので、僕が異常に没入してただけかもしれないが、次の職をどうするか、もう同じ職種は出来ない……と思ってた僕にとても勇気をくれた映画だった。

もう一度頑張ってみようか、と前向きになれる良い映画でした。